10月6日の日記
2007年10月6日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私がいつも思うこと。
皆、国語や数学、理科、社会、歴史。
知らない事は一生懸命勉強して知ろうとするし、考えようとする。
スポーツにしたって、自己流では限界がある。
最高の選手になるには、やはり専門的な最高のトレーニングを受けるだろう。
一人でやっていては間違いも気付かないし、「これでいい」と思い続けて練習を繰り返してしまう事で、不必要な筋肉が付いたり、無駄な動きにつながる癖が付いてしまったりする。
応用が生きるのは、しっかりした基礎があってこそだと思う。
私は、恋愛についても同じだと思っている。
自分の人生においてとても重要な意味を持つ結婚にもつながる大切なコミュニケーション方法の一つなのに、それに関してのみ、多くの人が「自己流」で問題ないと思っている事が不思議だ。
「自分に素直でいたい」「ありのままの自分を受け入れて欲しい」からだといって、無知でよいと考えるのはあまりにも子供っぽい。
「自分に素直でいたい」
それは、好きな時にわがままを言ったり、自分の気分に左右されてその都度態度を変えたりしたいということだろうか。
相手の状態や気分にお構いなしに、自分が「今」感じていることをそのまま伝える事だろうか。
そんなものは、本当のコミュニケーションではありえない。
おそらく、多くの人が仕事や友達とはきちんとしたコミュニケーションを保っていることだろう。
それなのに、事が一旦恋愛になると、なぜか「恋人にはワガママであってもいい」と考えてしまうのだ。
リラックスをして心を開く事と、思いついくままに行動してそのまま言葉に出してしまう事とは全く違う。
つまり、
自分の伝えたい事が、「その時思いついたままの表現で正確かどうか」ということ。
例えば、
心の中では、彼にかまってもらえなくて寂しいと思っていて、同時に悲しみと怒りもわいているとしよう。
こんな時、普段から自分の気持ちを正確に見つめる訓練をしていないと、分かりやすい「怒り」という感情につい目がいってしまい、彼に伝える時にそこばかりが強調されてしまう。
もちろん彼には、彼女が怒って感情的になっている事だけが伝わる。
元々その怒りは、「寂しい」という気持ちが満たされず、理解されていない事からきているのに、伝える本人がその事を知らないのだから、もちろん彼氏は知る由も無い。
これが女同士なら、その相手の心のうちも見抜いて会話からその糸口をつかめるかもしれない。
でも、男性にはそんな「女語」は分からない。
男性には、結果から話し、ポイントを正確に簡潔に伝える「男語」が適している。
相手が分かる言葉で説明し、伝わって、初めて理解されるのだ。
自分だけが分かる(または自分でも良く分かっていない)事を話してみても、お互い結局何が問題なのかも分からずイライラして、喧嘩になるだけだ。
こうやって、カップルはすれ違っていく。
お互いに「ありのままの自分」を受け入れてもらえなかったという苦しみだけを募らせて。
「自分はあんなに心を開いて素直に伝えていたのに」と涙を流すのだ・・・。
私は海外で暮らしてみて、その事を強く感じた。
日常のコミュニケーション範囲なら、多少言葉にずれがあっても大して問題にならない事が多いし、言葉で伝え切れなくてもお互い冷静な分、状況や勘である程度正確な予想がつく。
でも、恋人となるとそうはいかない。
盛り上がっている時も、まずい雰囲気の時も、たいていは冷静ではないのでお互いに判断を誤り、微妙なずれが大きな傷を生み出してしまう。
同じ語学力で伝えているのに、言葉とは、それほどにまで実はあいまいなものなのだ。
同じ言葉で伝えているつもりでも、相手によって、又は状況によって、お互いの心模様によって百変化して伝わってしまう。
または、悲しいかなその「言葉のまま」相手に伝わってしまうのだ。
普段、日本語という「同じ言葉を使っている」=「同じ様に理解している」という無意識の考えがあるから、自分が言った事を「もしかしたら相手が正確に理解していないかも」という考えが浮かびにくいかもしれないが、実は同じ日本語を使っていても、相手が理解できるように話せなければ、それは良く分からない外国語で相手に話しかけているのと同じ事なのだ。
相手には、なにがなんだかさっぱり だ。
会話とは、自分の言いたい事を自分流の話し方で言う事ではなく、
相手が理解できるようは話し方で伝え、理解しあう事なのだ。
言葉を過大評価してはいけない。
だからといって、過小評価しすぎてもいけない。
言葉によって人は確かに動かされるし、それを通して理解を深めるからだ。
あと、もっと神秘的な力を持っている場合もあるだろう。
だからこそ、私たちはありのままの自分を誤解が無いように伝えるすべを勉強するべきだし、あらゆる状況下でも冷静にそのままの気持ちを的確に表現できる方法を学び練習するべきだ。
感情や状況などに左右されずに、間違いなく相手に自分が言いたい事を伝える方法を。
その方法は色々あるとおもうけど、TRもその一つだと思う。
そう、要は、トレーニングなのだ。
学校ではいろんな単語や意味を教えてくれるけれど、
同姓同士での言葉の正しい伝え方。や
異性への正しい言葉の伝え方。などは教えてくれない。
もし、家庭でも両親が特に意識せず言葉を使う環境で育ったならなおさらだ。
つまり、自分で勉強しなくてはいけないのだ。
こんなに大事な事なのに!!
それを勉強しないままで、言葉を正しく使い分けられるなどど思うのは恐ろしい考えだ。
普段使っているからと言って、それがどんな時でも正解とは限らない。
きちんとした手引きにしたがって、百戦錬磨してトレーニングしていくしかないのだ。
自分が努力しなかった方面で成功する事など、決して無いのだから。
恋愛だって、同じだ。
間違いなく。
・・・・・・・・・
時間が無くバーと走り書きしたので、後で直すかもしれませんが、とりあえずそのままのせておきます。
あくまでも、自分用のメモとして。
私がいつも思うこと。
皆、国語や数学、理科、社会、歴史。
知らない事は一生懸命勉強して知ろうとするし、考えようとする。
スポーツにしたって、自己流では限界がある。
最高の選手になるには、やはり専門的な最高のトレーニングを受けるだろう。
一人でやっていては間違いも気付かないし、「これでいい」と思い続けて練習を繰り返してしまう事で、不必要な筋肉が付いたり、無駄な動きにつながる癖が付いてしまったりする。
応用が生きるのは、しっかりした基礎があってこそだと思う。
私は、恋愛についても同じだと思っている。
自分の人生においてとても重要な意味を持つ結婚にもつながる大切なコミュニケーション方法の一つなのに、それに関してのみ、多くの人が「自己流」で問題ないと思っている事が不思議だ。
「自分に素直でいたい」「ありのままの自分を受け入れて欲しい」からだといって、無知でよいと考えるのはあまりにも子供っぽい。
「自分に素直でいたい」
それは、好きな時にわがままを言ったり、自分の気分に左右されてその都度態度を変えたりしたいということだろうか。
相手の状態や気分にお構いなしに、自分が「今」感じていることをそのまま伝える事だろうか。
そんなものは、本当のコミュニケーションではありえない。
おそらく、多くの人が仕事や友達とはきちんとしたコミュニケーションを保っていることだろう。
それなのに、事が一旦恋愛になると、なぜか「恋人にはワガママであってもいい」と考えてしまうのだ。
リラックスをして心を開く事と、思いついくままに行動してそのまま言葉に出してしまう事とは全く違う。
つまり、
自分の伝えたい事が、「その時思いついたままの表現で正確かどうか」ということ。
例えば、
心の中では、彼にかまってもらえなくて寂しいと思っていて、同時に悲しみと怒りもわいているとしよう。
こんな時、普段から自分の気持ちを正確に見つめる訓練をしていないと、分かりやすい「怒り」という感情につい目がいってしまい、彼に伝える時にそこばかりが強調されてしまう。
もちろん彼には、彼女が怒って感情的になっている事だけが伝わる。
元々その怒りは、「寂しい」という気持ちが満たされず、理解されていない事からきているのに、伝える本人がその事を知らないのだから、もちろん彼氏は知る由も無い。
これが女同士なら、その相手の心のうちも見抜いて会話からその糸口をつかめるかもしれない。
でも、男性にはそんな「女語」は分からない。
男性には、結果から話し、ポイントを正確に簡潔に伝える「男語」が適している。
相手が分かる言葉で説明し、伝わって、初めて理解されるのだ。
自分だけが分かる(または自分でも良く分かっていない)事を話してみても、お互い結局何が問題なのかも分からずイライラして、喧嘩になるだけだ。
こうやって、カップルはすれ違っていく。
お互いに「ありのままの自分」を受け入れてもらえなかったという苦しみだけを募らせて。
「自分はあんなに心を開いて素直に伝えていたのに」と涙を流すのだ・・・。
私は海外で暮らしてみて、その事を強く感じた。
日常のコミュニケーション範囲なら、多少言葉にずれがあっても大して問題にならない事が多いし、言葉で伝え切れなくてもお互い冷静な分、状況や勘である程度正確な予想がつく。
でも、恋人となるとそうはいかない。
盛り上がっている時も、まずい雰囲気の時も、たいていは冷静ではないのでお互いに判断を誤り、微妙なずれが大きな傷を生み出してしまう。
同じ語学力で伝えているのに、言葉とは、それほどにまで実はあいまいなものなのだ。
同じ言葉で伝えているつもりでも、相手によって、又は状況によって、お互いの心模様によって百変化して伝わってしまう。
または、悲しいかなその「言葉のまま」相手に伝わってしまうのだ。
普段、日本語という「同じ言葉を使っている」=「同じ様に理解している」という無意識の考えがあるから、自分が言った事を「もしかしたら相手が正確に理解していないかも」という考えが浮かびにくいかもしれないが、実は同じ日本語を使っていても、相手が理解できるように話せなければ、それは良く分からない外国語で相手に話しかけているのと同じ事なのだ。
相手には、なにがなんだかさっぱり だ。
会話とは、自分の言いたい事を自分流の話し方で言う事ではなく、
相手が理解できるようは話し方で伝え、理解しあう事なのだ。
言葉を過大評価してはいけない。
だからといって、過小評価しすぎてもいけない。
言葉によって人は確かに動かされるし、それを通して理解を深めるからだ。
あと、もっと神秘的な力を持っている場合もあるだろう。
だからこそ、私たちはありのままの自分を誤解が無いように伝えるすべを勉強するべきだし、あらゆる状況下でも冷静にそのままの気持ちを的確に表現できる方法を学び練習するべきだ。
感情や状況などに左右されずに、間違いなく相手に自分が言いたい事を伝える方法を。
その方法は色々あるとおもうけど、TRもその一つだと思う。
そう、要は、トレーニングなのだ。
学校ではいろんな単語や意味を教えてくれるけれど、
同姓同士での言葉の正しい伝え方。や
異性への正しい言葉の伝え方。などは教えてくれない。
もし、家庭でも両親が特に意識せず言葉を使う環境で育ったならなおさらだ。
つまり、自分で勉強しなくてはいけないのだ。
こんなに大事な事なのに!!
それを勉強しないままで、言葉を正しく使い分けられるなどど思うのは恐ろしい考えだ。
普段使っているからと言って、それがどんな時でも正解とは限らない。
きちんとした手引きにしたがって、百戦錬磨してトレーニングしていくしかないのだ。
自分が努力しなかった方面で成功する事など、決して無いのだから。
恋愛だって、同じだ。
間違いなく。
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時間が無くバーと走り書きしたので、後で直すかもしれませんが、とりあえずそのままのせておきます。
あくまでも、自分用のメモとして。
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